気候変動の科学(基本的な部分では、「20世紀後半以降の気温上昇の大半は人間活動による温室効果ガスの排出が原因」というもの)を認めようとしない人や特定のグループ(米共和党や共和党に献金している石油系企業やそれらの企業が出資しているシンクタンクとそのお抱え科学者など)は、メディアからこれまで『否定派(deniers)/懐疑派(skeptics)』と呼ばれてきたのですが、今回、AP通信がそれを『気候変動疑問派(climate change doubters)/主流の気候科学を拒絶する人たち(those who reject mainstream climate science)』という表現に変えると発表しました。
これに対して気候科学者や環境保護団体等は、『疑問派(doubters)』という表現がこれまでの『否定派(deniers)/懐疑派(skeptics)』よりも弱いという理由で概ね反対を表明しています。確かに、否定・懐疑に比べて、疑問では弱い印象というか、90%以上の気候科学者が認めている気候変動による気温上昇の原因を認めようとしない人たちの正当性を認めるような印象を与えかねないという気はします。もうひとつの『主流の気候科学を拒絶する人たち(those who reject mainstream climate science)』という表現は適切だという評価を受けているので、この並列されているふたつの表現の温度差が不自然に大きいような…。
そもそも、一部(共和党支持者の約10%)の人は「人為的地球温暖化は起こっていない」と、温暖化の存在そのものを否定しているのに、その人たちのことも『気候変動疑問派(climate change doubters)』と呼ぶことが正しい表現なのかと、こっちの方が疑問を抱いてしまう判断だと思います。
ただ、この発表が行われてから、他メディアで『気候変動疑問派(climate change doubters)』という表現が使用されている例を見かけないので、今後この表現がメディアに定着することはないようには感じますが、このようなメディアの消極的ともいえる姿勢は誤解を与えかねないので避けてもらいたいものです。
【参照記事】
Doubt Denies Denial|Slate
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