2015年8月の世界の気候レポートの記事で使用した世界の陸海表面の平均温度の地図上で、北大西洋のグリーンランド南側に、観測史上最高の平均気温を更新しようとしているのに、1ヶ所だけ過去最低気温を記録している場所がありました。
上の地図上の、黒で囲んだ濃い青の部分です。この地域(西経20度から同40度、北緯55度から同60度まで)の1月から8月の気温は、1880年以降で最も低くなっています。そして、この現象が一部の気候科学者をちょっとだけ心配させているのです。
まず、この地域は地球の気候を左右する大切な場所になっています。ここは、南半球から風の力で運ばれてきた海洋表面の表層水が沈み込んで北大西洋深層水を作る、大西洋の子午線逆転循環(Atlantic Meridional Overturning Circulation: AMOC)が行われている地域です。
Credit: 気象庁
上の図の、最北にある半透明の白い丸の部分で北上してきた暖かい海水が冷却され、また、氷を形成することによって塩分濃度が上がって水の密度が濃くなり、重くなるために海底へと沈み込みます。これが大西洋の子午線逆転循環と呼ばれ、それによって北大西洋深層水が形成されます。この循環が継続することによって、海底の水が南下していきます。表層水が北上し、冷却され、塩分濃度が高くなって重くなることで自然に沈み込んで南下する循環が行われているのです。地球全体のこの海流のシステムを熱塩循環と呼びます。
では、なぜこの地域の気温が低くなることが心配なのでしょうか。本来であれば、緯度が高くなるにつれて赤道から北上してきた暖流が冷やされる際に放出する熱があるため、気温がこんなに低いはずがないのですが、平均気温の上昇、特に北極圏は他の地域よりも2倍の速さで温暖化が進んでおり、その影響でグリーンランドの氷床がとけて、近年は1年で100億トン以上の冷たい淡水が北大西洋に流れ込んでいます。
この淡水がこの地域の気温を下げる原因になっているのですが、問題はそれだけではありません。淡水が流入することにより、水温は下がるものの塩分濃度は低くなり、従来よりも海底に沈み込む速度が落ちてきているのです。
急速にこの傾向が進むと考える気候科学者はいませんが、淡水の流入が続くことにより、熱塩循環が弱まり、沈むことができなかった冷たい表層水が逆流を始めると、本来はヨーロッパの温暖な気候の要因になっている暖流が停滞し、ヨーロッパの気候が寒冷化、その影響は中緯度以北の北半球に及び、最悪のシナリオでは氷河期に突入する極めて小さな可能性もあります。
過去に同じようなことが起こっているので、それも心配材料のひとつになっているようです。約1万3千年前のヤンガードリアス(アメリカではヤンガードライアス)と呼ばれる現象では、最終氷期から間氷期に移る時に起こった急激な温暖化によって北アメリカの氷床がとけ、大量の淡水が北大西洋に流れ込み、海水よりも密度が低くて軽いために海底に沈み込まずに表層に広がって、ヨーロッパに向かって北上する暖流を遮断したため、再び寒冷化してしまいました。そして、その急激な変化は、わずか数十年の間に起こりました。
ただし、当時北大西洋に流入した淡水の量は、グリーンランドの氷床がとけた淡水の量とは比べものにならないくらい大量だったので、仮に今後も北大西洋の子午線逆転循環の速度が落ち続けたとしても、ヤンガードリアス期と同じ規模、同じ速さで寒冷化が起こるとは考えにくいでしょう。
この現象はまだ始まったばかりで、気候科学者の間では「気になる」くらいのレベルです。まだ本気で心配するところまでは達していません。今のところは。今世紀中に急激な寒冷化が起こることはないと思われますが、物事に絶対はありませんし、このまま温室効果ガスの排出を続けると、来世紀以降に起こってしまうかもしれません。何よりも、万が一起こってしまった時の影響は計り知れません。
心配は、何も起こってないうちにするのがベストです。
【参照】
Rahmstorf, S. et al. Exceptional twentieth-century slowdown in Atlantic Ocean overturning circulation.|Nature Climate Change 5, 475ー480 (2015).
Why some scientists are worried about a surprisingly cold ‘blob’ in the North Atlantic Ocean|Washington Post
Why the Earth’s past has scientists so worried about the Atlantic Ocean’s circulation|Washington Post
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