2009年にデンマークのコペンハーゲンで開催された「国連気候変動枠組条約第15回締約国会議(COP15)」は、開催地の名称(Copenhagen)から、「"Hope"nhagen」と呼ばれました。アメリカでは、"Hope"と"Yes, we can"をキャッチフレーズにして新しいリーダーになったオバマ大統領が現地入りし、京都議定書に続く新たな枠組の合意に大きな期待が寄せられました。
その結果は、中国が途上国に対して発揮したリーダーシップによって、失望という言葉では足りないくらいの期待外れに終わりました。
でも、失望どころか絶望感を抱えて帰国の途についたのは、先進諸国の首脳たちでも、成長著しい途上国の首脳たちでもなく、温暖化に最も寄与していないのにその影響を最も受けている国々の首脳たちとその国民たちでした。
僕たちのように先進国で気候変動による被害を受けにくい環境で暮らしている人間にとって、温暖化は「いつか起こるたぶん深刻な環境問題」ですが、気候変動の影響を受ける最前線に暮らす人々にとって温暖化は「日常的に影響を受けている、国と国民、民族の存亡がかかった問題」なんです。
海抜が低い島しょ国の中には、海面上昇の影響を抑えるためにインフラの整備などでは足りず、周辺の海抜が高い島しょ国の内陸部や、先進国への移住を検討している国もあります。
先祖代々受け継いできた「家」や「土地」にこだわる日本の人たちには共感できるのではないでしょうか。それらの島しょ国で暮らす人々は、数千年前から先祖代々受け継いできた島を離れ、民族の歴史や文化を手放して見知らぬ土地で暮らすことを余儀なくされる未来がすでに決まっているのです。
今すぐに化石燃料から脱却して二酸化炭素排出量をゼロにしても、二酸化炭素濃度と気温は今後数百年は上昇を続け、産業革命前の二酸化炭素濃度に戻るまでに千年単位の時間を要します。一部の島しょ国が海に沈むのは避けようがなく、そこに暮らす人たちは移住以外の選択肢がありません。
島しょ国の高齢者の中には、「神様が私たちの先祖に与えてくれたこの島が沈むのならば、それも神様の意思なのでしょう。私も島と共に沈みます。」と話す人もいます。
先進諸国が経済発展のために温室効果ガスの削減を先延ばしにする中、野心的な気候変動対策を打ち出してきたのは、温室効果ガスの排出量が世界全体の1%にも満たない、島しょ国やアフリカの最も温暖化に寄与していない国々です。彼らは、自分たちが気候変動対策をリードしていくのだと言っています。
でも、悲しいことに、COP21とその先の気候変動会議で、どれだけ実効性のある、野心的で法的拘束力を持った国際合意に達しても、一部の海抜の低い島しょ国に暮らす人々のように、助けることができない人たちがいるのです。
島しょ国の人たちだけではありません。北極圏では、気温上昇や海面上昇によって、数千年続いてきた生活様式の変化を迫られたり、移住を余儀なくされる先住民族たちがいます。
彼らは、先進国に対して責任ある気候変動対策の実行を求め続けてきましたが、先進諸国はその声をずっと無視してきました。
彼らが望むような気候変動対策の国際的合意に達するとは思えません。
でも、せめて彼らが未来にほんの小さな希望を見出せるような内容であってほしいと願わずにはいられません。彼らにはその権利がありますし、僕たちには、彼らのために最善を尽くす義務があるのです。
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