【独り言】COP21を終えて思うこと

  「国連気候変動枠組条約第21回締約国会議(COP21)」は「パリ協定」に195ヶ国すべてが合意して採択され、気候変動問題にとって歴史的なイベントになりました。

  パリ協定の中身については記事にしましたが、COP21開催中から感じていたこと、終わってみて残った後味のようなものをここでは綴っておこうと思います。「歴史的」「成功」と呼ばれるイベントの陰で無視されたものや軽んじられたもの、見逃されたもの、かけているものがあったことを忘れてはいけないので。

  僕にとっては、COP21は段取り通りに進んだ「イベント」という印象が強いのです。舞台や劇、映画のような、筋書き通りに進んだエンターテイメントのような。もちろん、その「筋書き」ができあがるまでの水面下、舞台裏での努力はあったとしても、それも一部の国の思惑通りに進んでいったというイメージは抜けません。

  ただ、その「筋書き」に落とし込みたかった参加国をはじめとして、すべての国が「今回は必ずポスト京都議定書に合意して帰る」という目標を共有していたのは間違いないと思います。

  気温上昇の目標も、2℃未満を上限に1.5℃を目指して努力するという野心的なものになりましたが、それが達成可能である根拠や、どのようにそこに辿り着くのかなど、具体的な内容にはなっておらず、現段階では絵に描いた餅でしかありません。そもそも、2℃未満の達成ですら、今は存在しないネガティブエミッション(二酸化炭素を大気から取り出して地中などに貯蓄させる)の技術を開発し、世界中に普及させなければ実現することはほぼ不可能といわれています。

  また、世界のトップの富裕層10%による二酸化炭素排出量が、人類すべての二酸化炭素排出量の50%を占めている現状については一切触れておらず、化石燃料からの脱却を加速させるための世界規模での炭素税導入も議題になることはありませんでした。

  また、航空会社や運送業による二酸化炭素排出量の規制に関する事項も、COP21からは外されていました。

  長期的には化石燃料からの脱却を謳っていても、新規炭鉱の開発や石炭火力発電所の建設の制限などの具体的な対策が話し合われることもありませんでした。

  ロス&ダメージについての言及はあっても、具体的な補償問題には触れられていません。気候基金も、総額の下限は決まっていても、不足した場合の罰則はありません。二酸化炭素排出量の削減目標も、各国の自主性に委ねられ、目標を達成できなかった時の罰則もありません。

  合意することを前提にしたが故の緩さを否定することはできません。

  それでも、「パリ協定」の気候変動問題の「象徴」としての意味合いはとても大きいと言えるでしょう。石油大国であるサウジアラビアや、これまでアメリカと対立してきた中国やベネズエラなどが、アメリカがリードし、アメリカの意向を大きく反映させた協定に合意したのは大きな前進であると言えますし、世界が一体となったことに希望を見出すことはできると思います。

  そしてそのパリ協定採択によって生み出されたモメンタムが広がって、マーケットや資本、投資家やビジネスが新エネルギーや新しいテクノロジー、脱化石燃料・脱炭素に向かって舵を切れば、目標達成に必要な、大きな流れが生まれてくると思います。

  でも、これだけの条件が揃わなければ、2℃未満の目標を達成することは困難であり、1.5℃未満は条件が整っても可能かどうかわかりません。

  恐らく、ここまでが「大きな国際組織」にできる限界なのでしょう。COPでは大きな流れだけを決め、その流れに沿う形で各国政府がそれぞれ気候変動対策を作って実施していくしかないのだと思います。国の政策に足りない部分があれば、地方自治体単位で埋め、より小さな単位の組織になれば、より小さな気候変動対策を実行することができます。

  トップダウンの限界にボトムアップで対応していけば、今ある社会から低炭素社会へ、そして脱炭素社会への移行をスムースに迅速に行うことができると思います。そうすることで、気候変動によって深刻な影響を受ける人を少しでも減らすことができますし、少しはマシな地球を未来に渡すことができるはずです。

  気候変動は、経済の問題であり、人権問題であり、健康問題であり、環境問題であり、格差の問題であり、差別の問題であり、社会正義の問題でもあります。

  僕たちは、誰ひとりとして傍観者でいることができない、当事者です。ここから先どうなるかは、僕たち世界市民の参加にかかっているのだと思います。

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