地球を汚染してきた石油産業やプラスチック産業が、多額の広告費(リンク先の記事中だけで数百億円)を投入して、消費者に「個人の生活様式の変化が気候変動や環境汚染の原因」と思い込ませてきたって知ってますか?
Business Insiderの記事では、気候変動や環境汚染、汚染企業活動監視の専門家が石油産業などの手口についてコメントをしています。
個人のカーボンフットプリントをはじめたのは石油産業
「リサイクルをしよう」
「カーシェアリングを広めよう」
「節電しましょう」
などのメッセージの発信は、プラスチックを大量に使う企業や石油産業が多額の広告費を投入してはじめました。「個人のカーボンフットプリント」の計算は、2004年に英大手石油企業のBPがはじめたんです(2004年だけで278,000回も使用されたそう)。温暖化を止めようとカーボンフットプリントを調べて自分の生活を見直した(見直そうとした・見直そうと思っていた)人は、見事に石油産業の思うツボにはまっています。石油産業による宣伝が効いて、カーボンフットプリントという言葉は知れ渡っていきました。「カーボンフットプリント」という言葉自体が石油産業のプロパガンダなのです。
個人の行動の変化で減らせる排出量は4%しかない
記事に「現時点では、個人的なライフスタイルの変化によって気候危機を好転させることはできません。2050年までにネットゼロへの道筋を示す国際エネルギー機関の報告書は、『個人の行動の変化は必要な削減量の約4%しか占めない』と見積もっている。」とあります。個人の行動も大事ですけど、それでは全然足りません。そこに時間と労力を注ぎ込むことこそ、化石燃料産業が私たちに望んでいることです。
誰のための温暖化(環境保護)対策?
地方自治体が使い捨てプラスチックの禁止を検討する中で、シェブロン、エクソン、ダウ、デュポンなどを含むプラスチック生産企業が、自社製品を市場に残すために数百万ドルを費やしてリサイクルプログラムを実施しました。企業に属する科学者が「大規模なリサイクルは機能しない」と言っていたのに、です。効果があるかどうかなんて関係ないんですよ。少しでも長くプラスチックで利益を得たい。そのためなら、数億円の広告費は安いものです。それ以上もうかるんですから。
本来はつくっちゃいけなくなるはずだったプラスチック(ゴミ)の回収とリサイクルの責任を消費者に押しつけようとした産業側の思惑は、本来はそんなことをする必要なんて全然ないのに、やらなきゃいけないと思い込まされている消費者がプラスチックをリサイクルに出すだけでなく、拾って集めることよって達成されています。
日本は「脱石炭」しか主張していないので、プラスチックの原料である天然ガスを残したい産業側からすれば、日本の環境団体や活動家の「脱石炭」という主張は大歓迎でしょう。渡りに船、地獄で仏、飛んで火に入る夏の虫です。
また、化石燃料は人為的メタン排出量の約33%を占めています(天然ガスはそのうち34%)。メタンは半減期が短いものの、二酸化炭素の数十倍の温室効果があり、短期的な気温上昇の原因になっています。なのにどうして「脱石炭」になるのかとってもミステリー。
石油・ガス産業の望みは、石炭産業を(できれば原発も)終わらせて、天然ガスと石油で利益を独占することです。脱化石燃料&脱原発を目指さないと、差別や格差、不公正(環境正義/気候正義問題)が残ってしまいます。環境正義/気候正義を掲げながら「脱石炭」を主張するのは、あり得ない、起こり得ない、あってはならない、起こってはならないことです。
個人に責任を押しつける大企業たち
「気候変動の原因は石油生産ではなく、人々の生活様式です」。
これは、2018年に気候変動訴訟でシェブロンの弁護士が行なった発言です。
これは、2018年に気候変動訴訟でシェブロンの弁護士が行なった発言です。
コカ・コーラのサステナビリティ部門のトップは、「プラスチックボトルを廃止しないのは、消費者が望んでいるからです」と2020年のダボス会議で発言しています。
「私たちひとりひとりにできることがあります」「個人のカーボンフットプリントを減らそう」というメッセージと親和性が高いことを感じることができるのではないでしょうか。
個人の想いや思い込みを捨てて、「個人の行動の変化で気候変動や環境問題を解決できるというメッセージが対策の妨げになる」という専門家の指摘に耳を傾けた方がいいと思います。
個人の行動の変化には意味がないと言っているのではありません。そこを強調すると、気候変動や環境汚染、環境正義/気候正義問題の原因をつくってきた化石燃料産業や汚染企業、富裕層、政治家の責任をぼやけさせる誤ったメッセージを発信することになるという指摘なんです。
気候変動を止めるのも、プラスチックごみを減らすのも、個人の行動には限界があります。個の限界を超えられるのは、集団の連帯した政治的な行動です。
影響力が極めて小さな「個人にできること」は個人でやって、もしそれを発信する際には、「いくら個人の行動を変えても、もっともっと影響力が大きくて効果がある政治的活動に関わってシステムを変えないと意味がなくなってしまう」というメッセージを強調して発信すればいいと思います。
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