気候変動対策に必要な公平性とは?

ハフポストの経産省「公平性の観点から年齢だけに着目した選定はしない」 気候変動対策の議論に若者の参加を求める院内集会でという記事で、気候変動対策の公平性を保つために、当事者として若者の参加を求めているという内容に違和感を持ちまして。

日本の気候運動に「なんだかなー」と感じるのはこれが初めてじゃないというか、ずっと「なんだかなー」なんですよね。だって、環境正義/気候正義を掲げているのに、交差性・包摂性そっちのけで気候変動対策の椅子取り合戦みたいになっているから。日本の気候運動からは、世代や属性の垣根を越えた連帯が見えてこないんです。

気候変動対策を議論するあらゆるレベル(国、都道府県、市町村)の席に、若者だけじゃなく、あらゆる層の弱い立場の人たちを参加させるべきなんですよね。国レベルであれば、地方の人たちを中心にしないと公平性は保てません。

公正の問題で最も重要なのは、交差性と包摂性です。若者が参加するにしても、都会の恵まれた若者ばかりになったら、今あるシステムと中身が同じになっちゃって、無意味どころか悪影響になりかねません。あらゆる弱者の声を公正に取りあげてこその気候正義です。SDGsでおなじみの「誰ひとり取り残さない」という、アレです。

環境正義の本場アメリカの気候変動対策
アメリカのバイデン政権が、なんだかんだ言われながらも(足りないところもまだまだあるし、アホみたいに余計なこともする)、過去最大級の気候変動対策となるインフレ抑制法や、若者を中心に気候変動関連事業の雇用を促進するAmerican Climate Corpsのようなプロジェクトを遂行しています。

これらの法整備やプロジェクトの提言に影響を与えているのが、バイデン政権のホワイトハウス環境正義委員会の面々。日本の気候変動政策を決める場に必要なのは、アメリカの環境正義委員会のメンバーのような、長年いろんな立場、地域で草の根活動を続けてきた弱者をよく知る人たちのはずなんです。環境正義/気候正義に真面目に取り組んでいる人から見れば、マジすごいメンバー。知恵の集まり。

ホワイトハウス環境正義委員の略歴を見れば、どれだけ地域に根差した活動をしてきたか、経験や知識、知恵のすごさに圧倒されます。大学在学時に環境正義のクラスで論文や本を読んだ人たち、今もよくニュースなどで見聞きする識者&活動家がそろっています。環境正義の父、ロバート・ブラード博士もいます。環境正義/気候正義界のオールスター。全員そろった会合に参加したい。とりあえずブラード博士のサインがほしい。

個人的には、ブラード博士が自分にとってヒーローのような存在なのだけど、ブラード博士との共著もあるビバリー・ライト博士も胸アツ。若者代表としては、ホワイトハウス前で蝶ネクタイ姿で毎週座り込みを続けて話題になったジェローム・フォスターも。彼はジェーン・フォンダのFire Drill Fridayにも参加していました。

委員には先住民もプエルトリコの人もアラスカの人もいるし、学識者でも草の根活動に長年にわたって携わってきた人ばかりで、弱者目線の政策提案ができるメンバー構成になっています。Justice 40(環境政策に費やす予算の40%を環境弱者のために使う目標)の実践が進んでいるのは、このメンバーのおかげと言っていいでしょう。

先日は、バイデン政権が低所得家庭向けの太陽光パネル設置に7億ドルの支援プログラム(ソーラー・フォー・オール)を発表しました。必要な速さで進んでいるとはいえませんが、正直バイデンがここまでやると期待していませんでした。

日米の環境正義/気候正義の違い
日本の気候運動(日本独自の環境正義/気候正義運動)と、気候正義の元である環境正義運動発祥の地アメリカの気候運動の違いは、地域に根差した草の根団体のきめ細かい活動とその数にあります。一番大きな違いは、日本のそれがアメリカの70年代頃のエリートによる環境運動に近いことですけど、そこは歴史が浅すぎるうえに本場の知識を学んでいる気配がないのでしょうがないのかもしれません。

気候運動に限らず、アメリカでは小さなローカルコミュニティーごとにと言っていいくらい、あらゆる層のニーズを把握している多様な草の根の非営利組織があります。ダラスやヒューストンのような大都会でも、小さなローカルコミュニティーの中で、どこにどんな弱者がいるか、何が必要かを把握して、議員や各レベルの議会、政府に働きかける草の根団体があって、彼らが集めたコミュニティーの声を、学識者であり活動家でもあるブラード博士やライト博士をはじめとする、ホワイトハウスの環境正義委員会に参加しているような人たちが吸い上げて、社会的弱者に必要な政策を提言することで、Justice 40のような弱者のためのプログラムが実行されるようになります。

日本では、まだ声の大きな環境団体(環境正義団体ではなく)だけが気候変動政策の提言などに参加しているのが現状で、地域ごとの多様な弱者に偏っている不公正をなくす段階に至っているとはいえません。

弱者は多様
気候変動の影響を偏って受けやすい弱者と聞いて、どれくらい思い浮かびますか?ザッと思いつくだけで、以下のような感じになります。

途上国と先進国の別を問わず、有色人種、先住民、貧困/低所得層、高齢者、女性(特に専業主婦)、子ども、シングルペアレント世帯、LGBTQ、基礎疾患を持つ人、障害者、非正規雇用労働者、保険未加入者、地方在住者、空調のない家に住む人、外国人、移民、不法移民、難民、外国人実習生、屋外労働者、ホームレス、受刑者、人権弾圧を受けて自由を奪われている人たち。

公平性を保つというのなら、これらの人たちの声をすべて届ける必要があります。気候変動対策を決める場に、このような弱い立場にいる人や、弱者の声を集めて代弁できる知識と経験と交差性・包摂性を持つ人が参加しなければ、公平性は保てませんし、公正の問題は解決しません

気候変動は、社会公正の問題です。気温と排出量だけ、温度計と科学的データだけの問題ではありません。気候変動は社会の不公正を深刻化させ、社会を不安定化させるとも言えますが、むしろ逆なんですよね。不公正な世の中が、気候変動をはじめとする環境問題を深刻化させる土壌になっているんです。そして、その不公正は一部の強欲な人たちによってつくられキープされています。

ひっくり返して考えると、不公正をなくせばいいんです。公正な社会になれば、気候変動は止まります

そのために必要なのは、小さなコミュニティーの声を届けること、草の根の声を、トップに向かってボトムアップしていくことです。トップダウンの対策では、弱者に偏っている気候変動の影響をなくせません

小さな個人から小さなグループ、小さなコミュニティーへと声を広げて、横に横につながって、拡声させた声をボトムアップで突きあげていけば、公平性のある公正な気候変動対策を実行できるようになります。

その第一歩は、気候変動を日常会話にするところから。

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